■「二寸六分の懐石」といわれる寿司の芸術品

1820年代(文政初期)、江戸で現在の寿司の代名詞ともいえる「握り寿司」が考案された。片手でひょいとつまみながら、手早く食事ができるため、忙しい江戸っこには大いにうけた。
大阪では文政末年に道頓堀戎橋南で握りずしを売る店ができ、真似をする店が生まれたが、主流はやはり箱ずしで、明治から大正にかけて「関東の握りずし」「関西の箱ずし」という状況が続いていた。
現在の箱寿司が生まれたのは明治中期のこと。瀬戸内の魚と厚焼き玉子、エビ、穴子、キクラゲなどを、寿司飯とともに木枠の押し型に美しく敷き詰めて成形した「箱寿司(大阪寿司)」を、吉野寿司三代目・寅蔵が考案した。
見た目にも美しい"寿司の芸術品"と評され、目と舌の肥えた大阪の旦那衆のあいだで一躍人気に。木枠の押し型で押すので「押し寿司」とも呼ばれ、大阪庶民の好物となっていった。
大阪寿司は、職人さんたちの膨大な手間仕事の上に成り立っている。前日から始める仕込みには、材料の吟味はもちろん、味付けにも秘伝の技と時間がかけられている。押し出したあとの見た目を美しくするためには、デザインセンスも必要。長年の間に洗練された様式美から、「二寸六分の懐石」といわれているほどだ。

箱寿司と言えば、なにわの味。大阪ならではの味だが、この箱寿司は、江戸前寿司と違って、時間がたっても味が変わらないのが特徴。確かな技術と手間暇がかかるため、大阪でも箱寿司を出す店は、そう多くない。現在は圧倒的に握り寿司の店が多いのが実情だが、それだけに箱寿司の名店は、大阪庶民に絶大な支持を得ているお店が多い。

 
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