■おでんではなく、あくまで「かんとだき」

大阪では、おでんのことを「関東煮」と呼ぶ。「かんとうに」ではなく、「かんとだき」である。「かんと」は関東を早口にした大阪弁、「だき」はアラ煮(あらだき)などと同じ煮物の意味だ。大根を炊く、菜っぱを炊くなど、関西では煮ることをよく「炊く」というのである。いまでは大阪でも、お店の看板やお品書きに書かれているのは、どちらかというと「おでん」の呼び名が主流だが、大阪人にとって郷愁のある呼び名は、やはり「関東煮(かんとだき)」。江戸末期、関東から学んだメニューが上方でどのように変化していったのか、関西人が愛する関東煮の魅力をお届けしよう--。
 
 

  ■大震災で里帰りしたおでんの数奇な運命

「関東煮」は江戸時代末期、江戸で流行した「煮込み田楽」が大阪に伝わったもの。関東から来た料理なので、「関東煮」とストレートにネーミングしてしまうところが、カッコつけてもしゃーない、という大阪らしいところ。ちなみに「おでん」という呼称は、宮中の女房言葉が一般民衆にも広まっていったもので、語源はもちろん「田楽」からきている。室町時代に生まれた「田楽」は、串刺しにした豆腐に味噌をつけて焼いて食べたのが始まり。次第にコンニャクや里芋も使われるようになり、これを醤油味で煮込んだ「煮込み田楽」が江戸で流行。屋台や茶飯屋で手軽に食べられる、庶民のファーストフードとして発達していったわけだ。江戸末期に隆盛を極めたおでん屋だが、関東では明治に入り次第にすたれ、ほとんど省みられないメニューになっていった。これが、大正12年の関東大震災で、被災者向けの炊き出しにと、関西から「関東煮」がもたらされ、"ディスカバーおでん"とあいなったわけだ。東京でもおでんの老舗といわれる名店が、関西風の飲める薄味おダシになっていることが多いのは、この時の"逆輸入現象"に負うところが大きいといわれている。
 
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