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■国民食カレー誕生の陰に大阪の活躍あり
大阪は、全国で一番「カレーショップ」が多いという説がある。「立ち食いうどん(そば)店」が全国一多い都市といわれても驚かないが、カレー専門店の数が日本一というのは、ちょっと意外である。
しかし、たしかに大阪は街を見渡しても地下街を歩いても、やたらとカレーショップが目に付く。その理由は、「注文してすぐに出てくるカレーライスは、いらちな大阪人にぴったり」だからだという。
この説の真偽は別にしても、大阪とカレーの歴史は、その誕生から現在に至るまで、因縁浅からぬものがあるのは事実だ。まず、国産初のカレー粉をつくったのは道修町の薬種問屋である。また、それまで高級洋食だったカレーを大衆食にしたのは、小林一三率いた阪急百貨店であったことはよく知られている。
さらに、日本人の食生活にカレーを浸透させていったエポックメーキングの陰には、大阪が重要な役割を果たしてきた。例えば、家庭にカレーが定着していったのは、固形ルウによるインスタント時代の幕開けを告げた「グリコワンタッチカレー」や、"リンゴとハチミツ"という子供向けレシピを開発した「ハウスバーモントカレー」など、大阪発メーカーの功績抜きには語れない。いまや年間5億食といわれるレトルトカレーを初めて世に送り出したのも、世界で初めてのレトルト食品「ボンカレー」を開発した大阪の大塚食品であった。
"新しもん好き"の大阪人の血が、カレーを日本人の国民食にまで押し上げていったのはまぎれもない事実である。 |
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■カレーをめぐる歴史メモ
1600年インドに東インド会社をおき、本格的な植民地経営に着手したイギリスが、そもそもはカレー料理を世界中に広めた。
インド人が百人いれば、百通りのカレーができるといわれるほど、スパイスの調合が難しいとされるカレー料理を一般的にするため、イギリスのC&B社(Cross&Blackwell)は、あらかじめ調合した「カレー粉」を販売し、ヨーロッパに広めていった。
明治維新後、そのイギリスで手を加えられたカレーが、西洋の文化吸収に取り組んでいた日本にやってきた。明治5年に『西洋料理指南』『西洋料理通』という2冊のカレー料理本が出版されたことからも、この当時の日本がカレーを"インド料理"としてではなく、"西洋料理"として捉えていたことがわかる。ちなみに現在のカレー専門店は、統計上では東洋料理というジャンルに分類されている。
カレーの栄養価を認め、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」と札幌農学校の寮規則を作ったのは、「少年よ大志を抱け」で知られるクラーク博士。この"らいすかれい"が現在のライスカレーの元祖だと言われ、彼が名付け親ともいわれている。
しかし、現在と違うのは、もりそば1枚が1銭という明治期に、カレーライスは約8銭と非常に高級な洋食であった点。これを、一般大衆のメニューとして普及させたのは、大阪の先人たちの知恵と創意によるところが大。おかげで今では、バラエティ豊かな固形カレーやレトルトカレーがスーパーやコンビニの店先に並び、家庭の食卓や学校給食のメニューでも頻繁に登場する時代になった。
イギリス経由でやってきたインド生まれの「カレーライス」は、今や日本人にとっては、国民食といっても過言ではない人気メニューのひとつである。 |
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