HOME > 大阪で育つアート 生きる博物館

日本における博物館・美術館のルーツのひとつは、大阪に求められるかもしれない。

江戸時代半ば、
堀江の造酒屋に生まれた木村蒹葭堂。

幼いころから植物に親しんで植物学を極め、また絵画を池大雅に学び、文人画や篆刻、詩歌にも優れた。彼が家業で得た潤沢な財をもとに屋敷に集めた、内外の書画や骨董、器物、典籍、地図。そして鉱物・動植物標本類の膨大なコレクションは当時から有名であり、諸国から延べ9万人以上の来訪者があったといわれる。彼にかかわる人々の往来を記した「蒹葭堂日記」は大阪歴史博物館に、山水画は大阪市立美術館に、貝石標本は大阪市立自然史博物館に伝えられている。いやそればかりか、森羅万象、身のまわりへのあくなき探究心は、大阪のまちにしっかりと受け継がれているのではないだろうか。

こうした前のめりの探究心は
明治以降の大阪画壇にも引き継がれた。

初期の大阪洋画壇の指導者的立場にあった赤松麟作、彼の薫陶を受けてパリの街角をメランコリックにとらえた佐伯祐三、濃厚な色彩とハリのある筆致で静物や裸婦を描いた小出楢重、そして戦前から戦後にかけて前衛を貫き、後進に大きな影響を与えた吉原治良などなど。明治から大正、昭和へとつながれてきた、時代を切り拓く美への探求と自由闊達なスピリットは平成の現在に至っても、大阪のさまざまなアートシーンで弾け続けている。

古くから大陸との交流が盛んであり、
京・堺といった「茶」の文化に極めて近かった
大阪という土地。

「新しいもの好き」「人のまねをしない」という進取・独自性を尊ぶ商業都市としての矜持と、その心意気を裏打ちする豊かな経済性。 大阪の美術館・博物館の収蔵作品は、美と知に魅せられた個人コレクションによるところも少なくない。
こうした文化風土は今なお、人々の美意識を育て、知的好奇心に生きている。

原始から難波宮、桃山時代、近世、そして近代にいたるまで。

大阪の美術館・博物館は、悠久のまちの歴史とアヴァンギャルドな文化風土をたたえて「美と知の系譜」を私たちに提示し続けてくれる。